日本で行われていた七政占星術について
文献上の『七政四余』の「正伝」はどんなものであるかは、なかなか議論があるところだと思いますが、それと関係すると思われてきたものに日本の草香社から出ていた七政占星術関連の本があります。
「七政占星術」「七政星学」「七政星術奥義」という書名で出ていました。 むしろ日本で、七政占星術というとこれらの本に書いてあることかと思う人が多いと思います。
これらの本は七政占星術で命理を判断するという本と、七政の盤を使って方位術として使おうという内容もあります。
香草社から出ているということでわかるように、もちろんこれらは明澄派つまり透派の考え方が反映したものになっています。これらの本を出す前に透派では奇門遁甲を教えていた都合があり、複数の術で矛盾する場合の、方位を判断するときの序列や、奇門遁甲のファクターと七政星学のファクターの組み合わせの判断などを言及しています。
(奇門遁甲そのものについては、透派の免許皆伝を受けた内藤文穏氏の著書「奇門遁甲密義(上)」に興味深い記述があります。「奇門遁甲密義(上)」は透派をさらに超えた技法にまで言及しています。)
以上のような著作なのですが、透派式の七政星学の方位術は、検討すると、かなり無理がある内容になっています。 12サインを十二支として、地上の方位に置き換えるのですが、その時に地上の位置として12サインを固定して、地に反映させています。
占星学的には、サインを地に反映したものは西洋占星術にあるように、ハウスになります。反映の仕方がいろいろ考えられるためにハウス方式は何十も異なった方法があるのです。
透派式の七政星学の方位術は計算上、磁北と真北の違いで補正しようとしていますが、サインの位置に磁北は全く関係しません。サインは黄道上の位置ですので、磁北と黄道は直接的な関係はありません。
地球上にサインの投影を引き下ろすときに、磁北を考えるというのであれば、単純に位置をずらすにとどまらず、磁北を基準点とした磁力線をもとにした新しいハウスシステムを作る必要があります。
実星はその年、月、日の間でも移動し続けるのが当然ですが、透派式の七政星学の方位術では奇門遁甲で用いる暦に無理に合わせるためにそういった位置の移動が考慮されていない不思議な内容になっています。つまり年盤が有効とされる1年間のあいだ、年盤で使われる土星は逆行、順行もしながらおよそ12~14度ぐらい動くのですが、本を見る限り、動かないという前提で書かれています。
実星であれ、虚星であれ、それがどのレベルで、実際、効果があるものなのかを確認したうえで、適用するものでしょう。七政星学が日本で、全く盛り上がらなかったのは、適用の仕方に課題があった以上の著作の影響も大きいのではないかと思います。
しかし、いまなら西洋占星術の視点からもともとの七政星学を再評価できる可能性があると思います。
そういう意味で、七政星学は興味深い分野だと思います。
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