ビーイングの世界にある高次の存在は、制限を受けるのか?

一般的には、高次の力が現象世界に降りてくるときに、次第に制限を受けて、限定的にしか発現しないという発想があります。 


しかしエソテリックティーチングでは、この様には考えなくて、ビーイングの世界にある高次の存在は、その次元において、なんの制限のうけず、常に存在していると言われています。 


 そういう差が生まれるのが、「現在のパーソナリティ」(人格我・肉体)の存在をどのように考えているかというところにあります。

一般的「スピリチュアル」では身体を「抵抗器」のように考えるので、制限のなかにいると考えるのですが、 エソテリックティーチングではそこの考え方に差があります。

実際に、活用、適用するシンボルもことなるので、その点でも大きく差があります。