それは本当に「易経講座」なのでしょうか。
易の世界での常識的な知識や「易経」についての最新の研究による学問的な成果を教えないで、全く個人的な思い込みで「易経講座」をしている人がいます。易学大講座を個人的な見解で切り貼りしたものです。
「易占講座」だったらまだ、良いのですが、よりによって「易経講座」を行っています。
これによって、数百人単位の「被害者」が出ているのが現状です。
結局のところ、「易経」についても「易占」についてもわからなくさせられているので、被害者です。
そこでは、「易占」もでたらめに再占して、気に入った卦がでるまで、コインを振るということが普通に行われています。
初回に得たもともとの易のメッセージはどこへやら。
しかし、参加する当人たちは喜んで、自ら「被害者」になっているのが興味深いです。 目が覚める時期が来たら、「なんてことを!」となるのですが、目が覚めないひとが、大半でしょうから、 それで成り立っているのです。
そういった「易経講座」ビジネスは、どこまで、人を旧観念旧思想の中に閉じ込めるかということの上に成り立っています。
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